
漫画家が何を言っているんだ?というタイトルなのですが、そのとおりの心境が何年もずっと続いています。
よく作家さんとの会話でも
「最近絵を描いてないんですよ」
「いやいや漫画描いてるやないですか・・・いや、でもわかります、その感覚」
「でしょ。仕事の絵しか描いてないから、そう思うのかもなと」
「確かに」
というやりとりをしたりしますが、最近、自分はその「仕事の絵しか描いてないから」という感覚も、またちょっと違ってきてるのかもしれないと思うようになりました。
「漫画」には一枚の紙にたくさんの絵が描かれています。でも、読んでいたら忘れてしまうんじゃないかと思います。絵を見ているという感覚を。私はそうです。
登場人物がいて、喋って、会話して、動いて、舞台も変わって、目まぐるしいたくさんの変化が、一枚の中に盛り込まれていたりします。漫画を読むというのは、人物を絵として見ているんじゃなくて、人物を人物として見ていくものです。
そのためには、描き手がその人物になりきる必要があります。主人公だけじゃなくて、登場人物全ての人物になりきります。
なので、絵を描いているという感覚より、「演じている」という感覚なんじゃないかと思います。
でも以前、家族にこの話をしたら、「絵を描いてるんでしょ?演じるってどういうこと?」という反応をもらって、おおお・・・!と、とても新鮮な気持ちになりました。
漫画はパッと見は絵だけど、一度その世界に入った途端、絵じゃなくなる次元が広がっていて、それが手で持てるくらいの紙束に収まっているって、よく考えるとやばいことだなと改めて思いました。
ですが、絵を描いているというわけではないのですが、この、”絵を描いていない”ことに、焦燥感や苦しさを感じる自分がいます。
昔は空想で、ファンタジーな、何を描いているのかよくわからない絵を気ままに描けていたのですが、最近は、ストーリー性のある、いわゆるカメラでスナップしたような絵を描きたいと思うことが多くなりました。現実感のある絵です。
けれどそれはやはり自分の中で、絵ではなくて、その世界にカメラを構えた自分というのが入っていて、その自分の目線でシャッターを切った世界を描いているだけです。
昔みたいに、ありえないところに人が飛んでいたりというファンタジーな絵が思い浮かばなくなってしまったことに、とても焦る時があります。そして思い浮かんだとしても、それは自分が描きたいと思えていないのが分かってしまっていて、そのことに悔しくなります。
素直に楽しめていた世界が楽しめなくなったことへの焦燥感。きっと楽しみ方が変化したのだとは思いますが、生活していて、かつての感覚を引き出さないといけない瞬間もあり、その時は非常に焦ってしまいます。想像力が狭まってしまっているんじゃないかと。。
「絵を描く」という行為が、息をするくらいに当たり前になりすぎていて、もはや感覚すら感じなくなっているのかもしれません。
「絵を描く」ってなんだろう。
今なんとなく感じている感覚としては、やはり頭の中で見ている光景にシャッターを切る行為なのかも、と思います。
本格的にカメラを始めて、絵を描いているときの感覚について考えるようになったというお話でした。
ではでは⁂