原稿作画中

前回の記事で、最近モノクロ写真を撮ることにハマっている。みたいなことを書いたかと思うのですが(もはや記憶が曖昧)、あれからも、原稿の合間に休憩がてら、ずっとモノクロで写真を撮っています。

彩られている世界からモノクロ世界への変化の面白さが癖になってしまってます。

近所の山

今は高精細なカラー写真を撮るのが当たり前になっていますが、白黒のネガしかなかった時代(私の祖父母世代)の人々は、初めて見た全く知らない景色が写っているモノクロ写真にも、もしかしたら色を感じることができたのかなと、ふと想像してしまいます。モノクロに対する解像度が高かったのかもと。もしそうなら、すごく羨ましい感覚だなと。

カフェラテの残骸

その感覚は漫画の作画につながってきます。

アシスタント時代、トーン貼り(当時はまだアナログ作業)のお仕事をしていると、「赤色だから▲▲番。緑は○○番。黄色は⬜︎⬜︎番っぽい。」と、トーンの網の濃さを色で判断しているアシ仲間が数人いました。漫画のモノクロの原稿に色を感じているその感覚に、ものすごく驚きました。

私は自分の原稿の時、「ここは陰だから○○番・・・ここは⬜︎⬜︎番だと画面のバランスがいいかな・・・?」

と、色というより、画面の濃さでトーンの種類を判断していました。モノクロの世界はモノクロの世界という認識ですね。

なので、自分はトーン貼りがとてもとても苦手です。絵の具のようにトーンを使うことができなくて、できれば陰だけに、1種類しか使いたくないくらいに苦手です。時間があるなら全てを線で書き込みたい・・・でも画面の見づらさにつながる可能性もある・・・。

どうしたらモノクロの世界に色を感じられるんだろう。トーンを色で判断できるようになるんだろう。少しでもトーン作業を楽しめるようになりたい・・・。

謎壺

・・・ということで、今ハマっているモノクロ写真は、もしかしたら感覚を養う訓練にもなるんじゃないかと、思った次第です。

コンプレックスも楽しく克服していきたい。

30代も半ばになって、20代の頃よりは明らかに「まあいっか。自分にないもんはないしなぁ」と、色んなことを良い意味でも悪い意味でも流してしまえるようになりました。

あんなにギラついていた自分が、たった10年ちょっとで落ち着いてしまった。それに焦りを感じつつも、「まあいっか」を共存させている現実。

20代のアシスタント時代、自分にない感覚を人が持っていると、それ自体がもう羨ましくて仕方がなかったのですが、その時の自分は、自分にない感覚なのだから、きっと苦しまないとその感覚は手に入れられない。となぜか厳しく決め込んでいて、楽しんで習得を試みてみるという発想がありませんでした。色んなトーンを使ってみたけれど、やはり苦しい作業だったなと。

でも、「まあいっか」を手に入れられている今は、戦闘態勢はないものの、自分が少しでも「楽しいかも?」と思える方法で、色んなことを習得していけている気がします。大の苦手だった歴史も、一人で乗れなかった飛行機も、一人で初めての海外旅行も、「楽しいかも?」と思える余裕は、20代と比べれは格段に増えたなと思います。

芝桜

というわけで、これからもモノクロ写真をパシャパシャ撮っていきたいと思います。

曇り空の日本海
波打ち際

この記事はちょっと読んでもらいたいな。という記事になっちゃったので、前回言った「しばらくSNSで投稿を宣伝しない」を撤回します。

今後も、読んでもらいたい記事になったら、気まぐれにSNSで投稿を宣伝しようかなと思います。気まぐれにやっていきます。

今日も読んでくださってありがとうございました。

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