
日記の更新がパタっと途絶えてしまっていました。
主にSNSで近況は綴っているので、あまり問題はないと思うのですが、書いていない期間が長く開くとなんとなく気になってしまいます。
更新していない間に、連載が始まりました。
<あらすじ>
1965年、北大西洋・シュエルデン国ケンズ島。
両親を船の事故で亡くしたオリジは「死なない船をつくる」と決意し船大工を志すが、ひょんなことから、いまだ舟葬文化の残るこのケンズ島で葬送舟を作ることになる。
死をお金にしていく葛藤に苦しむオリジに、相棒のアルトと”モンガータの旅人”が見せた景色とは——。
正反対の舟職人2人と島民たちが織りなす、切なくも心温まる物語。
(電撃コミックレグルス公式サイトより)
連載開始にあわせて、電撃オンラインさんがインタビュー記事を作ってくださいました。
作品に込めた想いや初期設定など、お話しさせていただきました。
https://dengekionline.com/article/202410/21894
以下はとても個人的な、この作品を世に出せるようになるまでの道のり・・・という名の、ふりかえりです。
実は前半はあまり明るいお話ではないのですが、今となっては、これらの経験がなければ、「モンガータの旅人よ」もこの世に出せていません。
インタビューでも話しているのですが、漫画家としてデビューしてから今年で10年目で、「モンガータの旅人よ」は、初めてのオリジナル連載です。オリジナル漫画は、白泉社でデビューした当時、最後に描いた読切作品から10年、ずっと世に出すことがありませんでした。描きたい気持ちはとても強かったのですが、公私ともに様々なことが重なった時期でもあり、デビュー2年目あたりに心を壊してしまい、漫画が描けなくなり、描こうとするとパニックになってしまう状態が長く続いたので、自分を守るために一度筆を折り、漫画とは関係のない仕事をしていました。
私は根性がなく、我慢に強くなく、楽しいか楽しくないかで物事を決めてしまうので、その当時、どうしたって漫画を描くことを、これからも楽しいものなのだと信じ切ることができませんでした。今思えば、とても視野が狭くなっていたのだろうなと思います。ですが、この時に漫画から離れてくれたおかげで、今の自分があるんだろうと、今になってとても強く思います。
しばらく働いていたコンビニで、いろんな人を見ることができました。デビューしてから、作品を作るためにずっとキャラクターとだけ向き合い、本当の人間と向き合っていなかったことに気がつきました。人が何を思い、何に悲しんだり、喜んだり、夢を見たりするのか。漫画から離れたことで、見えていなかったことが少しずつ見えるようになった気がしました。
コンビニで働き始めて半年ほどが経った頃、野生動物の赤ちゃんを保護するという経験をしました。どういう動物かというのは一身上の都合でちょっと避けますが、とにかく可愛い子でした。あまり飼育の方法が世に出回っておらず、毎日必死に調べて、なんとかもうすぐ大人になる。というところで、私の数秒の不注意によって、その子を事故に合わせ、亡くしてしまいました。
今思い出しても辛くて、書くのを躊躇いそうになるのですが、この子を自分の不注意で亡くしてしまった現実を受け入れるために、その時にとった方法が「漫画を描く」というものでした。漫画を描かない人からすると、何を言っているんだと思われるかも知れませんが、悲しみと後悔に向き合う方法が、自分は漫画を描くことでした。それは昔、自分も漫画に救われてきたからでした。
ですが実際は、漫画を描こうとしても、パニックは続いていました。それでもなんとか這い上がりたいと、「ネームタンク」さんという、ネーム作業(コマ割りやセリフ、ラフな絵が入った、漫画の根幹を担う過程)を専門とした講座に参加させていただきました。その結果、4年ぶりにネームを描くことができました。半分くらいは文字だけのページでしたが、それでも十分すぎるほどの成功体験で、あの嬉しさは今でも忘れられません。
その当時に描いたレポ漫画はこちらです。
とはいえ、すぐにまた漫画が描けるようになったかといえば、そうでもなく、まだ怖さは続いていました。ですが、また漫画でお仕事をしたい。と思えるようになり、企業案件(広告漫画)のお仕事を「トレンド・プロ」さんからいただくようになりました。シナリオ有りの16Pの教育関係の宣伝漫画が初めての広告漫画だったと思います。たった16Pでも、とんでもなく緊張し、冷や汗を描いたのを覚えています。ですが、完成して、納品できた時、根拠はないけれど「自分は漫画が描けるんだ」と強く思えました。ネームタンクさんでの経験に引き続き得た、大きな成功体験でした。
そうしてしばらく広告漫画・イラストのお仕事をしていると、学習まんがのコンペのお誘いを、編集プロダクションの編集さんからいただきました。私の白泉社での読切作品を読んでお声をかけてくださったとのことでした。掲載されたのはもう何年も前になるのに、覚えてくださっていたことに驚きました。その学習まんがのコンペというのは、私の初めての単行本になった「集英社学習まんが 日本の伝記SENGOKU 明智光秀」でした。

日本の歴史には興味はあったけれど、実はとんでもなく歴史弱者の状態でお引き受けしました。まず、「武士っていつからいるの?」「幕府って何」から勉強せねばだったので、お話が決まってから、100冊は本が増えました・・・。わからないことがわからない、という状態でしたので、子ども向けの歴史本から入り、少しずつ分かってきたら、歴史は地続きなのだということも理解できてきて、どんどん過去に遡っていき、縄文時代に行きつき、また戦国時代まで戻ってくる・・・といった具合でした。それとは別に、そもそも漫画なので、絵を描かなければならないので、当時の装いや佇まい、家の建て方、お城の建て方、武器、甲冑の種類などを勉強しました。
SENGOKUシリーズは第8弾まであり、ありがたいことに最終巻である8巻「真田信繁」も担当させていただくことになり、さらに30冊以上、勉強のための本が増えました。
明智も真田も、どちらもゆかりの地に取材に行かせていただき、現地の方にとても愛されている武将だということも、肌で感じることができ、人が誰かを慕う感情に、とても幸せな気持ちになりました。
それから学習まんがや児童小説など、主に児童書のお仕事をいただくことが増えてきました。児童書はいろんな年代のお子さんに合わせて絵柄を変えていく必要もありました。ですが、これが自分にはとても良かったと思います。私はそれまで「これを描きたい!」「こうじゃないとダメなんだ!」という自我が、オリジナル作品に対してとても強く、柔軟に、良くなるために変更していくことができませんでした。ですので、広告漫画、児童書のお仕事で、その先に読んでくださる方に届けたいと、本当の意味で思うことができました。
そして、KADOKAWA電撃コミックレグルスの現担当編集さんにお声をかけていただき、四葉夕ト先生原作で「魔法空艇の案内人」の連載を1〜3巻まで描かせていただきました。

これまでは歴史が元になっている学習まんが、児童小説が主でしたので、いただいたシナリオとは別に、史実をしっかりと調べ、監修の先生のチェックをお願いし・・・という、ある意味、安心感があったのですが、今度は四葉先生がシナリオを通して描いている世界観を、どこまで再現できるか、今まで自分が通ってこなかったファンタジーを、自分が作画をすればどうなるのか、とにかく主人公のエミと一緒に走り切って、いろんな景色を見よう・・・!と、連載に挑みました。漫画にする上で、イメージ図や柔軟にシナリオ変更にご了承くださり、作品作りの色んな可能性を勉強させていただきました。(四葉先生、本当にありがとうございました!)
「魔法空艇の案内係」の連載と同時期に、「集英社版学習まんが 世界の歴史7 ルネサンスと宗教改革」という学習まんがも進行しておりました。

日本史の次は世界史・・・!と、こちらもかなり緊張しました。資料の数がまた膨大になりました。ですが、この世界の歴史がきっかけで、しっかりと世界情勢や世界の歴史や文化に目を向けることができるようになりました。海で隔たれてはいるけれど、同じ地球に住んでいる人たちが、今この瞬間も、自分と同じように呼吸をして生きている。同じ月を見て、同じ太陽の光を浴びて、それが太古からずっと続いている。そう考えると、自分の知らない、行ったこともない場所に住む人たちのお話を描いてみたい、と思うようになりました。
「モンガータの旅人よ」の世界観の主である舟葬文化をモチーフにしたお話自体は、白泉社でのデビュー当時から構想があったのですが、当時の雑誌の色にあまりに合わなさすぎる気がして、提案はせず、ずっと頭の片隅の箪笥にしまっていました。それをやっと出せたのが今年、2024年でした。
オリジナル作品のネームをちゃんと描き切ることは8年ぶりくらいのことで、1話目のネームの初校を描くときは、やっぱりすごく怖くなり、涙が溢れて落ち着かず、キッチンをぐるぐると旋回しました。笑
でもその時、「怖いに決まってるじゃんか。だって8年ぶりだもんよ。そりゃ怖いよ。怖い怖い」と自分に言ってあげられて、昔とは大きく変わったことを実感しました。今までは怖がる自分に「怖いとか思わないでよ!」と苛々してしまっていたけど、自分にすら受け入れられていない自分が、とても苦しかったんだと思いました。怖いという気持ちをそのまま受け止めることで、ぐるぐる旋回は落ち着いて、いつの間にかペンを握っていました。それが今年の1月のことです。
初校から大きめな修正を何回も重ねて、今の1話の形になりました。この修正は、以前の自分なら耐えられなかったかもしれない。私は根性がないし、我慢強くないです。でも、絶対に描きたい、絶対に描いてて楽しい。どこかで今、呼吸している誰かと、この作品の世界を共有したい。そう思えたから形にすることができました。そう、思わせてくれたのは担当編集さんの「絶対に良い作品になるからやりましょう!」という、強い一言のおかげでした。


全ての経験が今の自分を作っていると実感し続けた2024年でした。自分1人では決してこの作品は世に出せていないし、デビューからのお仕事も、たくさんの方が関わってくれていたことを知り、以前は自分は不幸だと思うことも多かったけれど、本当はめちゃくちゃ幸せ者じゃないかと考え改めました。
連載が始まってから、コメント、ファンメッセージ、SNS等でいただいた温かいご感想を読み返すたびに、誰かに伝わったことの喜びを噛み締めます。まだコミックスも出ていない、数多ある漫画作品の中から、「モンガータの旅人よ」に出会ってくださって、本当にありがとうございます。読者さんというより、「強く握手したい人」という感覚のほうが強いです。
2025年は単行本の発売が決まっています。すでに単行本作業に入っているので、ぜひお楽しみにしていただけますと嬉しいです。
長くなりましたが、ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
2024年12月29日

